オランダ南部の北ブラバント州の「 カンピーナ自然保護区 Kampina Nature Reserve 」内をウォーキングした。
約3km、ハイキングとも言えない、装備も何も持たない、本当に軽い散歩だ。
近くの都市デン・ボス(北ブラバント州の州都。街の正式名は’s-Hertogenbosch スヘルトーヘンボス)に巨神兵の所要で行ったついでに、少し足を伸ばして来てみたのだ。
カンピーナ自然保護区は、当時私達が長期滞在していたレッケルケルク Lekkerkerk のホテルから東南方向に100km強の位置にある。日本の九州程度の国土しかないオランダなので、ここまで来るとベルギー国境まで本当にあともう少しだ。
自然保護区の周囲には幾つか無料駐車場が点在しているので、その一つに車を停める。ここまでの途上でにわか雨が降り始め、駐車した時もまだぱらついていたが、降雨予報アプリによるともう20分程度で降り止みそうだ。小一時間程度軽くぶらつくつもりだっただけなので、傘をさし森の中へ向かった。
事前に車中で巨神兵からカンピーナについて「自然保護区みたいな場所で、ヒースのムーアがあって、辺り一面ビーチみたいな砂地」と、非常にざっくりとした説明を聞いた。― ううむ。全くイメージがわかない。
そもそも超内陸部であるのに、ビーチとはどういうことだ?
(注:この当時私はオランダに移住したばかりで、オランダの国土全体が砂地だと知らなかった)
「ムーア」やら「ヒース」やらという単語を聞いた瞬間に「嵐が丘?」と連想してしまう私は、リアルタイムで『ガラスの仮面』を読んでいた世代だ。
一応、エミリ・ブロンテの原作も読んだが、ヒース=何か花、ムーア=荒れ地っぽい場所、程度の認識しかなかった。
夏の緑豊かな森は、ちょっと曇りで雨のしずくに濡れているような時が一番美しい。晴天過ぎると木陰と差し込む日差しのコントラストが強すぎるのだ。
緑に濡れる森の小道は少し残念なぐらいにすぐ終わり、木々を抜けたところに広大な草地がただただ広がっていた。
私が幼かった昭和の時代、山を崩して作ったありふれた新興住宅団地に建てた家の周囲はまだ空き地が多く残っていた。細い髪の毛のような草むら茂っていたあの空き地を数百倍広げたような感じだな、と思った。
草の下も、むき出しになっている部分も、地面は全て細かい粒子の砂地だ。まさしく海辺の砂浜の砂だ。
生い茂っているのは、つぶつぶとした小さなピンクよりの紫の花をびっしりとつけた、草というには少し硬すぎるがかと言って樹木まででもないような植物だ。大きな平原のあちこちに薄紫の葉の緑のパッチワークを作っている。
花盛りの時期には、もっと視界一面びっしりと薄紫のカーペット状になるらしいのだが、この時は時期が少し過ぎてしまった後だった。
「あの花は何の花?」と巨神兵に聞くと、オランダ語での名前しか知らず急いで検索した彼は「英語だと、Heather ヘザーという花」と答えた。
ヘザーは英語圏の女性の名前として耳にすることはよくあったが、そもそもは花の名前だったとは知らなかった。
いつでも頼れるWikipedia先生によると、ヘザーは「Heathヒース」とも呼ばれる。
「ヒース」は、ヘザーや細い髪のような草しか生えないような砂地や荒れ地の地形を指す言葉でもある。そのヒースの土地によく茂っているヘザーのことも「ヒース」と呼ぶ…のだそうだ。
ー ああ、ややこしい。
そして、こういう「ヒース」の土地は、別名「ムーア」とも呼ばれる。
ー どんどん、ややこしさが増していく。
ともあれ最初に『嵐が丘』を連想したのはそれほどハズレではなかったようだ。
植物としてのヘザーは、有史以来ずっと薬用ハーブとして愛用されると同時に良質の蜂蜜が取れる蜜源植物でもある。「荒れ地」という名の大地の上でもこんな一人何役もこなす豊かな花が茂っているなら、「荒れ地」=「荒れた何も取れない場所」という私が抱いていたイメージは改めよう。
予報通り雨はやみ、遠くに青空が見え始めた。すぐに暑い直射日光が目や顔の皮膚に刺さり始める。朝起きた時から曇り空、そこからの雨模様だったので、油断して顔に日焼け止めなど全く塗っていなかった…
のんびりとただ道なりに歩き続けていると、草原の合間にところどころ小さな沼か池が見えてきた。荒れ地と湿原が混在しているのだろうか。ずいぶんと内陸部であるのに、昔はここまでも海沿いだったのだろうか。
少しだけ地面がこんもりとし、そのヘザーの荒野と沼地を見下ろせそうな場所に近づいていく。そこには休憩用のベンチとともに、大人の一抱えほどの岩を数個、明らかに人為的に積みあげたモニュメントの様なものがあった。
そばの案内板によると、このカンピーナ自然保護区一帯はかつて Pieter van Tienhoven ピーター・ヴァン・ティエンホーヴェンという人の一族の所有地だった。生涯に渡ってオランダの自然保護活動に多大なる貢献をした人物だという。
このカンピーナの風景をとても愛していたピーター氏は、父親がこの草原をつぶして植林しようとしたのを制止し、自然のままの状態で保存するよう説得。そして将来に渡って守り続けるため自ら自然保護財団を設立し、その財団にこの土地を売却した。
死後は愛してやまなかったこの場所に埋葬するよう遺言も残したのだった。つまり、この大きな石のモニュメントこそ、ピーター氏のお墓なのだ。
ここで私達はもうそろそろと、もと来た方向に折り返していった。
再び森の中に入る。行きの時と違って、森の中の小道も今では木漏れ日がが枝々の合間から降り注ぎ、まったく雰囲気が変わって見える。
駐車していた車はちょうど日差しが当たっていたようで、戻ってきた時にはすっかり車体も乾いていた。
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