ハーグとアムステルダムの間ぐらいにあるライデン市、オランダ最古の国立大学・ライデン大学で有名な歴史の古い街だ。この最古説には諸説あるようだが、少なくとも世界で初めて「日本学科」ができた大学であるのは確からしい。
古い街並みに、細い運河があちこち通っている。車などなかった時代から建っている家々ばかりなのでもちろん各家に駐車場など無い。すべて路駐だ。狭い道の両側に縦列駐車でひたすら車が並んでいる光景は、懐かしの米ワシントンDC以来だ。私達のような観光客の車は、中心部から徒歩で10分程度の場所に広い公共駐車場に停める。そこから運河沿いに歩いて街を散策した。
最近はずっと最高気温は日中でも20〜23度程度で、晴れていても過ごしやすい。街は観光客でとてもにぎやかだ。運河という運河にはプライベートのボート遊びや観光客向けのツアーボートが行き交い、間をぬってカヌーやらSUPやらまで楽しそうに漂っている。地上も水上も明るい活気と初夏の朗らからに満ちた街だ。
街の中心近くまで来ると、前方の橋の上が多くの人で特別にぎやかだった。フェンスで道を封鎖している様子でもある。歩行者天国か何かになっているのか?と近づくと、フェンスに「ここから向こうは17世紀です」との看板。その向こう、観光客に混じって古いオランダ絵画に出てくるような当時の村人・街人の格好をした人たちが、大勢歩きまわっていた。何かのお祭りだろうか。
様々な職業や生活風俗のコスチュームの人たちを「あれは何だろう、これは何だろう」と楽しみながら人の流れのままに広場に行くと、普通にたたずんでいたコスチュームの数人が、突然朗々とした声でセリフの掛け合いを始め、何やら寸劇が始まった。
あちらの人混みの方でもまた別の寸劇が進行中、むしろ観客の人混みを上手く利用して掛け合いに取り込んだりしている。オランダ語がまったくわからない私ですら、寸劇の中で役者の青年が「レンブラント!」と呼びかけられているのはわかった。若き日のレンブラント役なのだろうか。
この日ライデンでは、偶然にも「レンブラント・デイ」フェスティバルが行わせていた。先述した通り、ライデンは大画家レンブラントが生まれ育った街だ。
寸劇に参加している人たちはプロでありアマであり役者なのだと思うが、コスチュームの他の人達はたぶん地元の人たちだ。自分が扮している人物がどういう仕事や地位の人かを熟知していて、観光客が話しかけると「私はこれこれで」と説明している光景があちこちにあった。私がたまたま話しかけた同じ服装の女性のグループは「奉仕活動し共同生活を送る独身(未婚または寡婦)女性のグループ」つまり、ベギン会修道院の女性たちだった。
レンブラント・デーの会場になっている街路を歩き回って堪能した後は、日本博物館『シーボルトハウス』へ。
シーボルト・ハウスというのはその名の通り、日本史の教科書に出てくるシーボルトがシーボルト事件(日本地図持ち出しが見つかった事件)で国外追放になり帰国した後、住んでいた家だ。
今では彼が持ち帰った工芸品や動植物の標本を常設展示する日本博物館になっている。
上の階の特別展示は季節ごとに変わり、今は大正や昭和初期の頃の「新版画」展だった。
友人のイボンヌが『TOKIKO』という実在の日本人女性の本を出版し、ブックトークがこの日行われていたのだった。実はTOKIKOさんは彼女のパートナーの日本人男性の家族なのだという。
イボンヌは四国遍路がまだ海外にはそれ程知られていなかった頃に歩き遍路し、回想録をオランダで出版した。この本によってその後怒涛の如くオランダ人が四国遍路に来日し、今でも外国人遍路でオランダ人が一大勢力を成している一因でもある。
ブックトークが終了するのを待つ間に館内の展示を見て回った。今や絶滅したニホンカワウソの剥製は、とても貴重なはずだ。
イベントを終えたイボンヌと、館内の休憩所で1時間半ほど四国や日本のトレイル談義をした後別れ、再び市街地散策へ出た。
『Patisserie Soetenso』でアイスクリームを。レモンアイスとキュウリのシャーベットのダブルを選ぶ。とても爽やかで美味しかった。
ライデン市街地には、他にも国立民族博物館や自然博物館などの見どころがまだまだある。
ライデン大学の天文台ではかつてアインシュタインが研究していたこともあるとか。もちろん小さいながらもレンブラント美術館もある。
何より街並みがとてもきれいだ。ぜひまたゆっくり来ようと思う。
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