みちのく潮風トレイル 6 – 多賀城市〜塩竈市

昨晩の宿「ドーミーイン・エクスプレス仙台港」の宿泊客は併設のスーパー銭湯に入りたい放題という特典がある。一晩寝れば体力が戻るような年齢でないこの身には、とてもありがたかった。

長距離強行軍が続いたこの数日間と比べると、今日の行程は約15kmと非常に短い。おかげでドーミーイン名物の朝食バイキングをゆっくり楽しむことができた。

昨日のうちにホテルの裏のホームセンターで新しい段ボール箱を調達し、新たな補給品箱を2つ作り直した。チェックアウト時に宅急便で送る手配をする。クロネコなら明日から数えて7日間のうちのいずれかに配達日指定ができる。予約をしていればどこの宿でも大抵は到着より1~2日前でも受け取って置いてもらえるので、今送っても合わせて最大10日後ぐらいの場所に送ることができる。もちろん、送り先を決めるためには数日先までの行程は決めて宿も予約して置かなければならないのだが。

相馬の南側起点を出発して、これまで5日歩いてきたわけだが、やはりNOBO(北向き)ルートにして良かったと思う。
歩く時に太陽が真正面から来ないというのが最大の利点だが、それ以外にもスルーハイクの場合は最初に歩く区間が大きな街が多く、買い物がしやすいというのも大きな魅力だ。

1週間近く、私達にとって馴染みの薄い東北の地のロングトレイルを歩いてきて、装備品で何が必要か、何がいらないかの勘所がわかってきた。昨日一昨日の宿泊地を意図的に大きな街にしたので宿のすぐ近くに大型店舗がいくつもあり、この2日間で必要なものを買い足したり、必要のないものは補給品箱の中に入れて送る準備ができた。

MCTルート沿いで最後のアウトドアショップ

ホテルをチェックアウトしてすぐに真横にあるファクトリーアウトレットに向かった。ここにはモンベルがある。みちのく潮風トレイル(MCT)のルート「沿い」にある唯一のアウトドアショップがここのモンベルなのだ。

もちろん日焼け止めや虫よけならドラッグストアで、バーナー用のガス缶もホームセンターに置いているところも多いのだが、ザックやトレッキングポール、山靴などで種類やサイズがそれなりに豊富となると、ここしかない。

日中の日差しが思ったよりも強く、長袖長ズボンで防護していてもむき出しの手のひらが思いっきり日焼けしてしまい、今更ながら夏用手袋を購入。ハット用のストラップも買った。

アウトレットを出てしばらくは倉庫地区らしいエリアを抜け、大通りを越えたあと、閑静な住宅街に入った。

ここに来てようやく、もうここは仙台市内ではないことに気づく。宮城、いや東北最大の都市にも関わらず、思えばあまりにも短いMCT仙台区間だった。グッバイつかの間の大都市、こんにちは多賀城市。

多賀城市

住宅街の通りを抜けていくルートは時折奇妙にぐいっとカーブして妙にまわり道っぽい線を描く。まっすぐに行けばすぐのところをわざとジグザクに進んでいるようにも見える。

実際、これまでの数日間だけでもMCTには妙な回り道が多かった、しかもたいてい何故ここをルートにしたのか、なぜあの道ではなくこの道を歩かせたいのか明確な理由が感じられないので、首をひねりながら歩き続けることたびたび。

しかし今日のルートでは違った。

言うまでもなく、多賀城市は古い歴史ある街だ。歴史の教科書で多賀城とか坂上田村麻呂とか誰もが目にしたことがあるだろう、8世紀以降奈良平安時代のバリバリの東北中心地だ。そのため、それほど大きくない市内に史跡や遺跡がゴロゴロとあふれていて、MCTのルートはくねくね曲がりながらそれらを上手く繋いでおり、なかなか良い観光コースを作り上げているのだった。

最初の史跡はこの閑静な住宅街の真っ只中にあった。

とあるお寺の裏に丘とも呼び難いようなちょっとこんもりした場所があり、その上には背の高い松の木が2本ひょろりと立っている。看板を見ると「末の松山」とある。おお、あの「末の松山 波こさじとは」のあれがこれか!実物をこの目で見れるとは、なんとなんと…百人一首と古文の教科書のうろ覚え、しかも何十年も前の知識、なので細部が怪しいが、確か「大波でも絶対に越えられない場所」転じて「何があっても壊れない倒れない」の比喩だったと思うのだが……低いし小さいな(汗)

脳内でいろいろ盛り上がっている私の横で、生粋のオランダ人の巨神兵は無感動で「なぜこのただの松2本が特別なのか全くわからない」という顔をしている。日本の古典文学では有名な場所なのだと説明したが、よほどの日本通でもない限り、ここはどう見ても「住宅街の寺の墓地の土盛り」だろうから、仕方ない。

「末の松山」からほんの60m、通りを曲がって少し行っただけの場所に名所2番手があった。住宅地のまん真ん中に唐突に小さな池。水面の半分ほどは、岩がゴロゴロとした隆起した地面が突き出している。看板曰く「沖の石」。

おお!あの「人こそ知らね 乾く間もなし」の「沖の石」か!と、再び何十年も前の百人一首と古典の教科書の…(以下略)

つまり大切なのは池ではなく、池から突き出た岩のほうだったのだが、しかし「沖の石」とは常に海中にあって水浸しのもののはずでは…それが今や住宅街のどまんなかである。

沖の石

何百年もかかって海岸線がどんどん下がり、かつては沖にあった岩が地面に露出したのだろう。ただいつの時点で人々が「これはあの沖の石だから、家を建てたりせずにちゃんと囲って保存しておこう」と思ったのかにはとても興味がある。この池の中の水は地下からわいているのだろうか、それとも雨水が溜まっているだけなのだろうか。少なくともさすがにもう海水ではないだろう。

末の松山があそこにあって、沖の石がここにあるので、今私達が歩き回っているこの一帯はすべてかつて海の中だった。そう考えると、MCTルートの海のきわきわ部分にはあまり史跡がないのはうなずける。何百年も昔は土地ではなかったからなのだろう。

多賀城駅を抜けて街の北側に向かう。ここからが史跡の密集地帯らしい。

桜前線がようやく私達に追いついてきたようで、街のあちこちの桜はだいたい3~5分咲きになっている。街の中なので、トイレや飲み物の心配もない。天気は良好、空は青く暖かい、昨日とは打って変わって良い気分だ。

あえて悩みがあるとすれば、自販機はあちこちにあれども巨神兵のお好みの紅茶花伝ホットミルクティーがなぜか入っていないことだった。誇り高き、ヨーロッパ紅茶消費量2位(首位はいわずもがなの国)オランダ人として、巨神兵は紅茶をどこでもよく飲む。歩いている最中でも飲む。家だとむしろストレートティー派なのに、外のカフェや自販機だとなぜか必ずミルクティーでなければならない。おまけにミルクティーならなんでも良いわけではない。紅茶花伝でなければならぬ。

なのに、自販機に入っていない。他のブランドならたまに入っているが、大抵はコーヒー缶が圧倒的スペースを占める。ちなみにここ数日ずっとそんな状況なので、宮城の海沿いの地域は紅茶党ではなくコーヒー党なのかもしれない。

MCTルートは多賀城跡の公園に向かって進む。途中で廃寺跡や歴史博物館の脇を通ったりと、歴史好きとしては多賀城区間だけで1日とって一つ一つの施設をゆっくり見物しても良いくらいだが、この翌日の行程の計画をずっと以前にたててしまったので、今回は通り過ぎるだけとなった。

広い広い多賀城公園の中を進む。建物自体が残っているわけではないので、見通しの良い芝生の広場のようだ。ほぼ唯一の大型建造物は未だ建設中、南大門らしい。

今日歩いた区間の9割はアスファルトの道路だったが、全く苦痛ではなかった。

やはり天気と道沿いの景色や見どころのある無しで、歩いている間の気分は激変する。店やトイレが頻繁にあれば余分の食料や水も持たなくて良いので気楽に歩けるのだ。

少しだけの距離だが未舗装の自然道も全体の約1割ほどあった。多賀城公園から大きな加瀬沼に抜ける農道と林の中の小道だ。
加瀬沼が見えたところで、池の南側の遊歩道を歩いて行くと再び多賀城公園の裏、陸奥総社宮前に出た。ルートの軌跡だけを見ると、わざわざ加瀬沼を一瞬みるためだけに大きく回り道したような感じだが、もうここまで来たら「まぁそういうものだ」とすべてを受け入れるようになっていた。

ここからは住宅街の中を突き抜ける車道沿いに少しずつ下っていくのだが、またしてもどこで市町村境を越えて多賀城市はもう出ていたことに気づかなかった。正解は陸奥総社宮を過ぎてすぐ、だったのだが。

通り抜けている住宅街はすでに塩竈市。漢字を見ただけでは絶対に正しく読める自信もないが、そらで書ける気もしない。この街に住む人は小学校低学年のうちから住所書くだけでこんな非常用漢字を書かなくてはならないのか。画数いったい何画だろう。

港街・塩竈市の塩釜湾に向かってルートは少しずつ下っていく。

もう少しで湾岸の中心街、今日のゴールは港は海に到達したところのフェリー乗り場だ。明日はいよいよ、みちのく潮風トレイル北向きルート最初の離島ハイキング区間その1。島に渡るフェリーはここから出航だ。

塩竈市と鹽竈神社

ゴールの海までもう1km強、繁華街はすぐそこに見えているというところで、地図のMCTルートの線が突然90度左に曲がった。多賀城であれほど見事に名所を繋いで曲がりくねったMCTルートである、もちろん塩竈市一番の名所を逃す訳が無い。
立ち止まる私達の前にそびえる巨大な石鳥居、鹽竈神社である。

市の名前の由来であろう神社だが、ここに来て「しおがま」の「しお」の漢字まで見たことのない字に変わった。もう絶対に書けない。そもそもここ以外でこの漢字を使っている場所は日本にあるのだろうか。

鳥居の前で止まったまま、周囲を見回す。塩竈市の中心地を囲むように小高い丘がポツポツと並ぶ。先程の多賀城の末の松山と沖の石同様、ここも昔は海岸線がもっと内側で、あのポツポツと並ぶ丘は海の小島だったのではないだろうか。今は街の背後にあるように見える鹽竈神社も、きっと海を見下ろす崖の上に建てられたのかもしれない。

こんなことをつらつら考えていたのは、実はただの現実逃避だった。なにに?鳥居の向こうに見える光景にだ。

神社の建物はここからでは見えない、なぜなら敷地自体がうっそうと木々に包まれた小山の上にあるからだ。麓にいる私達からは屋根の片隅しか見えない。

上にあるからには登らなければならない。目の前のこのほぼ垂直にすら見える急な長い階段で。

ちょっと視覚的衝撃が大きすぎる階段から受けた心理的ダメージはなかなかだった。しかもこちらは完全油断状態、下り坂をゆるゆると鼻歌まじりで下ってきて、嗚呼今日の歩きももう終了だなぁと安心しきっていたところへの「これ」だ。

視覚的衝撃は決して思い込みではない。事実、上の方に参拝者の人たちが必死でよじ登っていく小さな姿が見える。下ってくる人はもはや勇者だ。皆、手すりをしっかりと握りしめてゆっくりと一歩一歩確かめながら下りてきている。

巨神兵はなんの苦も無く跳ね登っていく後ろで、私ははるかにゆっくりと最後の力を振り絞って上りきった。

ありがたいことに、到着した鹽竈神社は門も社殿もとにかく華やかな美しさのある神社だった。

私は普段は完全に神社よりも寺派で、神社特有のあの朱塗りの色、それも新しめの鮮やかな色が好きではないのだが、この神社は鮮やかな朱色がほぼ赤色に近い色で、そこに金と緑のアクセントが見事に調和してとても美しい。まだ半分も咲いていないものの枝垂れ桜の濃いめのピンクの蕾と花がさらに彩りを添えていた。

日本庭園越しに塩釜湾が見える一角があり、桜の花越しの眺望は一枚の絵のようにすら見えた。庭園脇の茶屋カフェがとても魅力的だったが、惜しいことに時間がない。今日は早めにホテルに到着して明日の離島に備えて準備を入念にしなければならないのだ。

MCTのルートは来た時とは別の門に向かって続いている。こちら側の階段は遥かに緩やかで、下りれば先程下ってきていた車道に接続した。MCTハイカーでどうしても急ぐ必要があるなら、鹽竈神社をとばして車道を真っすぐ行けば良い。ただ階段上るのはだるいかな程度の理由で迷っているのならば、ちょっと頑張ってでも絶対に行って見て下さいと自信を持っておすすめできる名所だった。

塩釜フェリー乗り場、マリンゲート塩釜

街に下りればすぐに、今夜の宿に到着した。時刻はまだ16時にもなっていない。

チェックインを手早く済ませ、部屋に荷物を置くとすぐに再び外に出た。今日のうちにフェリー乗り場と船のチケットの購入要領を確認し、明日の朝にバタバタしないようにしておきたい。

フェリー乗り場である「マリンゲート塩釜」の内部に、チケットの自動販売機があった。予約無しで当日朝にこれを買って乗り込めばいいだけのようだ。

明日は浦戸諸島の4つの主要な島をすべて歩く。4つ目の島・松島は非常に大きくかつ本土にほとんど引っ付いていて橋で渡れるので船での移動がからむのは3つの島だけだ。塩竈市方向には戻ってこないので、チケットは片道分だけ買えば良い。

乗り場もすぐ分かる場所にあり、ややこしことは何もなさそうなので、明日の朝早く6時半頃にチェックアウトすれば問題なく7:15の便に乗れるだろう。

ホテルの帰りがけにイオンタウンの中のサイゼリアで夕食とした。

近くにコンビニもドラッグストアもあったので、翌日の朝食を含め携行食を買込む。明日の島は3つとも食事ができるような場所はおろか、商店すらなさそうに地図上では見える。小さな島々なので、水の補給はどうなるかが少し気がかりだった。

宿は外側から見たら一昔風なのだが、部屋は最近リノベをしたように綺麗だった。特にシャワーとトイレは都市の新しいビジネスホテルと変わらないクオリティーだ。唯一残念だったのは、私達が泊まった時点ではここには洗濯機がなかった。ただその後すぐに最新式のコインランドリーを導入し、今宿泊する人は洗濯もバッチリできるようになった。

今日は全体を通してとても楽しいハイクだった。その証拠に、あの鹽竈神社の試練の階段上りの後でも、私の足は全く痛くならなかったのだ。

みちのく潮風トレイル

スタート仙台港
歩行距離13.8km
累積標高(増/減)141m/139m
ゴール塩釜港
活動時間5h 18m
最高地点/最低地点57m/ 2m

ルートデータ

宿泊情報

グランドパレス 塩釜

Official Website

みちのく潮風トレイル スルーハイク: 2021年 3月後半 〜 5月前半